個人情報という守られた世界が逆に子供たちを特別な存在という対象へと向かわせているんじゃないかという事実

NEWS 2020年1月30日

個人情報という守られた世界が逆に子供たちを特別な存在という対象へと向かわせているんじゃないかという事実

先日、横浜でかわいいかわいい小学生たちがSDGsを学ぶという授業の撮影に行ってきました。(いつも呼んでくれるドングルズさんとミーツビジョンさんありがとうございます。)この小学校(名前は出していいのかわからないので伏せておきますが)のお子さんたちは今までいろいろなところで撮影させていただいてきたのですがすごく良い子たちで、撮ってて楽しかった。

良い子というのはカメラ越しになるので表面的でしか見ていないのであくまでもカメラ的に最高の子供たちで、カメラを向ければ「イェーイ」!
コメントを話してもらえれば素敵な回答をもらえて撮影してて本当にテンションが上がりました。
撮ってるこっちが元気をもらうってすごくいいですね。

ただやっぱり最近の流行りでどこに行っても、ある一定数の親御さんから撮影NGが出ることが多々ありまして、これは撮影する側にとってに残念でしかたありません。すごくいい画が撮れても使いたいシーンが使えない。どうしても使いたいけど使えない。

一瞬だけしか映らないシーンでも、映像的にめちゃくちゃ重要な部分であると思える場面があります。それを使えないのには毎回頭を悩ませるのですが、本音を言えば親御さんに頭を下げてでも使いたいシーンがあったりします。

お子さんははカメラにうつりたくて、みんなと一緒に楽しみたくて、カメラに寄ってきては声を張り上げ、手を振り、ギャハハと笑う。いい笑顔で、最高のシーンできっと出来上がった映像を見てくれる人には最高の笑顔を届けることができると確信しながら編集して、さあお披露目できると思ったら、その後、自分の子供の顔が出てるからNG。。

現場にいない親御さんは「個人情報が。。」だと映像から我が子を外し、集合写真で全体から外れていくお子さんは、出来上がった映像を見る人には存在しない人として安全に守られる気がするのですが、現場では集合から外れていく特異で目立つ存在になっていきます。同じ場所で同じイベントを楽しみ一緒に笑って手を振った自分が親の一存と個人情報という無形の概念によってカメラに映らない。

何を何から守っているのでしょうか?

映像を見ている子供たちの「今映った!」「あの子いっぱい出てる!」などの会話に入ることができない、映像から消された子供たち。
果たしてこれが「個人情報を守っている」ということなのか、いつも疑問を感じています。
個人情報って一体何なのでしょうか?誰か教えてほしいものです。


理屈っぽい回答は絶対いらないけど 笑

住所、電話番号、顔、声、丸出しで生きていきたいと思います。

子供向けのイベントの撮影もしてます。結構いろいろ撮ってるのですが上記もろもろいろいろありまして、一向に外に出せません、完全に営業ツールを失っていますが、興味ある人はぜひご連絡くださいませ。